浮上してきた“生きづらさ”
“生きづらい”という言葉を聞いたことがあるでしょうか。“生きづらい”と感じたことがあるでしょうか。
最近、日本で“生きづらい”という言葉をよく耳にするようになった気がします。その言葉が使われる場所はさまざまあります。たとえば、友人同士の会話で。「なんかさー、生きづらいよねー」あるいは、SNSで。「はあー、なんか生きづらいなー」もしくは、自身の心の中で。「もうやだ。生きづらい・・・」
近年、TwitterやFacebookなどのSNSが普及し、多くの人がちょっとした意見や気持ち・感情などを簡単に世界に発信できるようになりました。そこでは、基本的にはメッセージを特定の相手に対してではなく、一方的に発信することができるために、実際の会話では発言しないような内容まで表現することができます。その一部として“生きづらい”という感情を吐き出す光景が多々見られます。日ごろ、“生きづらい”と感じる人が多数いることが、SNSの登場によって浮き彫りになってきたのです。
“生きづらい”は別のところでも浮上してきています。2013年9月9日、国連が世界幸福度報告書(World Happiness Report)2013を発表しました。これは、国連加盟国の幸福度を調査したもので、それぞれの国の国民が自分の人生を幸福だと感じているか否かを調査し、国別にランキング化したものです。順位が上位であるほど、幸福度が高い国であると分かるのです。その調査において、日本は43位という結果でした。日本はGDP世界第3位という経済大国であり、世界でも有数の先進国です。しかし、国民の幸福度という点においては世界第43位と、決して良い結果ではなかったのです。
またつい先日、政府は自殺対策白書の2014年版を決定し、2013年の自殺者数が、2万7283人であったと発表しました。2年連続で3万人を割り、政府の自殺対策がわずかではありますが、成果を挙げていると言えます。しかし、それでもこの数字は異常な数字です。去年、私たちが日常を送っていた間に毎日のように、人が自ら命を絶っていたのですから。一言で「自殺」と聞くよりも、実際に何が起きたのかを具体的に考えてみると、事態の深刻さに気づかされるでしょう。
さらにこれも先日ですが、政府が発表した2014年版「子ども・若者白書」において、世界7カ国の若者の意識調査が行われたそうで、その結果、「自分自身に満足している」「自分には長所がある」と答えた割合が日本は7カ国のうち、もっとも低かったことが分かりました。これによって、日本の若者は自尊心が低く、自分に対して悲観的であることが明らかになったと言えるでしょう。
以上、3つの具体的なデータを紹介しました。幸福度・自殺者数・自尊心の低さを表すこれらのデータはすべて“生きづらさ”をも表していると言えます。自分の人生に対して幸福を感じられない、人生をドロップアウトしてしまう、自分に自信がない・・・これらは“生きづらさ”と密接な関係を持っているからです。
“生きづらい”って何なのだろうか?
このように、ここ数年“生きづらい”という感情がさまざまな形で表現されている現状を紹介してきました。しかし、“生きづらい”って一体何なのでしょうか?
思うように生きることができない状態、自由でない状態、心が沈んでいる状態などなど・・・なんとなくニュアンスとして近い状態は理解できるのですが、明確に“生きづらい”という言葉を説明することは難しいように思います。“生きづらい”をgoo辞書で検索したところ、ヒットしませんでした。まだまだ“生きづらい”は言葉として曖昧で、新しい現代言葉なのかもしれません。
しかし、現実に“生きづらい”という言葉は使われる場面が多くなってきています。曖昧ながらも心地の悪さを表したくてこの言葉を使う人が増えているのです。
“生きづらい”を見つめる
曖昧ながらも、多くの人が感じている“生きづらい”という感情。近年、その感情はあらゆる形で表現されています。実際、私もこれまでに多くの場面で“生きづらさ”を感じて生きてきました。私はこのブログを通して、とことん“生きづらさ”と向き合いたいと思っています。一体、私が感じるこの“生きづらさ”は何なのか?この原因は自分自身にあるのか?それとも私が生きる環境にあるのか?どうすればこの“生きづらさ”から脱することができるのか?これらの疑問に向き合っていきたいと思い、このブログを開設しました。
このブログで取り上げるテーマはもちろん“生きづらい”です。今後、書いていくこのブログの具体的な内容は、非常に幅の広いものになると思います。主な方針として、2つを掲げます。1つは、“生きづらい”に対する考察・提案・意見をすることです。世の中の至るところに“生きづらい”の原因が隠れていると思います。それを発見し、考察していきたいと思っています。2つめは、実際に私が“生きづらい”と感じたことを書く日記の役割を持たせることです。これをすることで、私自身が”生きづらい”という感情とより向き合うことができるし、もしかすれば同じような気持ちを持っている方に共感してもらえるかもしれないと思うからです。私はこのブログで、“生きづらさ”を感じている方たちを少しでも勇気付けることができればと思っています。これもこのブログを立ち上げることになったひとつの要因です。
“生きづらい”。この得体の知れない感情に困っている人が多くいる現代。多くの人が”生きづらさ”に耐え切れず自ら命を絶つ社会。この、こころの異常事態に警鐘を鳴らし、“生きづらさ”を見つめていくブログにしていきます。
※ブログタイトル、考え中です。