世のなかにはいろんな人がいて、なかには苦手な人や理解できない人もいる。発言や行為が気にくわなかったり、腹が立ったりすることもある。でもそういう人に対して、攻撃的な態度を取ったり、排除したり、っていうのはできるだけしたくない。自分が「正義」で、相手が「悪」みたいに決めつけたくないし、そういうことをしていると自分のまわりに人が寄ってこなくなる気がするからだ。
そりゃ苦手な人や気にくわない人もいる。できるだけ関わりたくないと思う人もたまにはいる。そういう人に出会ったら、そーっと距離を取る。自分が関わりさえしなければ平和なのでわざわざ相手を攻撃する必要はないし、相手が悪者なわけではないからだ。
以前ツイッターかなにかで見た次の文章がそういう考えに影響している。
小学4年の息子が、「ぼくね、本当の無敵っていうのは敵がいないほど強いんじゃなくて、誰とでも仲良くなって、敵なんかいなくなることだと思うんだ」と話してくれた。子供にはいろんなことに気づかされる。
誰かを嫌ってはねつけるというのは自分で敵を作る行為だと思う。それって結果的に自分が苦しくならないか?と思う。さすがに誰とでも仲良くなれるほど寛大な心は持ち合わせていないので、僕の場合は苦手な人とはしずかに距離を取る、という手段でやりくりしているけども。
それに、人の行為や発言が気にくわないときっていうのは、自分の精神状態に余裕がないか、もしくはそういう行為・発言をした相手側の精神に余裕がないか、のどっちかである場合もあるので、そういうときはお腹いっぱいごはん食べてゆっくり寝て忘れたほうがいい。
最近のネットを見ていると、ちょっと気にくわない発言や行為をするとすぐに話題になって騒ぎになっているけど、あの流れにはできるだけ乗らないようにしている。世論やネットの声の影響がでかくなりすぎて、ちょっとおっかない。できれば炎上騒ぎは目にしたくないけど、どうしても入ってきてしまうのでなるべく楽しい話題に目を移すようにしている。
人の嫌なところを目にしたとき、気にくわないなって思ったとき、相手がなぜをそれを言ったのか、やったのかを考える。たぶんこの人いま忙しくてイライラしてるんだろうな、とか、いろいろ余裕がないんだろうな、とか、寂しいのかな、とか。なるべくその行為・発言の背景を考えて、理解しようとする。そうすればいくらか受け入れられるようになる。敵を作りたくないから。
できるだけ人を嫌わずにおだやかに生きたい。それがいちばん。
じつはひっそりと「石の裏のダンゴムシの会」という会を主催しております。生きづらさを感じてるひとたちが集まって話したり、しゃべったり、トークしたりする会です。毎月第4日曜日に新宿でやっております。今月は10/23(日)にやる予定ですので、興味ある方はこちらをご覧ください。