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内向的な人による、内向的な人のための、内省ブログ

無音に耐えられなくて、いつもYouTubeを流している

YouTubeが好きで、四六時中見ている。本当に四六時中見ている。

 

まず朝起きて、朝ご飯を食べながら見て、通勤中にもバックグラウンド再生で聴いて。お昼休憩にももちろん見るし、帰宅中はいわずもがな。帰宅後は日によるけど、夜ご飯を食べながら見る日もある。疲れきって自分の意思をコントロールする体力がない日はそのあともダラダラ見てしまったりする。

 

つまり暇さえあれば見ているのである。その証拠がこちら。

 

毎日平均4時間見ている、つまり寝ている時間を除いた16時間のうち25%をYouTubeを見て過ごしている。さらにそのうち8時間の仕事を除くと50%をYouTubeにささげていることになる。

 

※ちなみに金曜に10時間近く見ているのは、この日にソロ夏休みと称して、一人でビジホにこもってやりたかった作業などをしていて、そのときずっとYouTubeを流していたからである

 

もちろん、ながら見・ながら聴きもしているのでその時間のすべてをYouTubeにだけ使っているわけではないが、それにしても相当な時間を消費していることはまちがいない。

 

見ているのはだいたい、お笑い芸人のチャンネルか、プロ野球選手のチャンネルが中心。その時の自分のなかのトレンドによってマチマチだが、霜降り明星は安定してつねに見ている。

 

そんな感じで、自分にとってYouTubeはなくてはならない非常に楽しいコンテンツで、日常の大事な楽しみの一つになっている。一方で、もはや依存・中毒状態だなとも思っており。

 

なにかスキマ時間ができたときには、ほぼ必ずYouTubeを流しているが、それはもはや強迫観念的にやっている。無音の状態で過ごすことが耐えられないのだ。なにか流していないと落ち着かない。無理、とても無理。絶対無理。

 

思い返してみると、小さい頃からそうだった。小さい頃も、家ではとりあえず常にテレビが付いていた。この番組を見ようと思って見る、というよりはとりあえず付けて、流れているものを見る、というのが我が家の日常だった。

 

もしくは録画したビデオを繰り返し流したりしていた。当時はVHSで、いまじゃ考えられないほどデカい長方形のビデオテープをデッキに入れて、ドラえもんとかクレヨンしんちゃんとかポケモンとかをひたすら流していた。

 

そのときも、無音が嫌だからとりあえずなにかがやっている状態にしたくて強迫観念的にやっていた気がする。能動的に「これを見よう」と思って見ているというよりは、とにかくなにかがやっている状態にしてそれをなんとなく目にいれるという受動的な行為だった。

 

それはいまも同じで、みたいものがあるから見るというよりは、とにかくなにかを見ている・聴いている状態にしたいというのが出発点になっている。

 

一体どうしてこんなことになってしまったのか。一種の現実逃避なのだろうか。本来やらないといけないことがあるのに、やりたくないから代わりにやることを探して、その行き着く先が「なにかを見る」ということなのか。もしかしたら勉強しなきゃいけないのに、つい部屋の片づけを始めてしまう心理と近いのかもしれない。

 

自分の趣味はだいたい受動的なものが多い。お笑いを見る、野球を見る、海外ドラマを見る。自分が主体となって何かをやることにはあまり興味がない。ギターを弾くとか、キャンプに行くとか、そういう能動的な趣味がない。

 

ただ、そんな自分の趣味自体は悪くないと思っていて、割と本気でYouTubeやお笑い・野球に救われたこともあるし、生きていて楽しいと思える瞬間をくれるものになっている。お笑いを見て、心の底から笑えたときは幸せだなと思える。

 

ただ一方で、主体的な趣味がないことについては引け目を感じるところもある。言い方はよくないが、「なにかを見る」というのは他人が作ってくれたコンテンツを消費しているだけの行為とも思うので、それってどうなんだろうと思う。死ぬときに自分は後悔しないだろうか、とか。

 

この話に結論はないのだけど、とにかく思考停止でYouTubeを見てしまう自分を律したいという思いもありつつ、すばらしい人達が作ってくれたすばらしいコンテンツによって幸福な瞬間が生まれていることは尊いものだとも思っているということが言いたかった。