僕が物心ついたときから、母親は父親を激しく嫌っていて、いつも人格否定していた。いつのまにか僕も母に倣って父を嫌っていて、僕は「絶対に父のようになってはいけない」と思うようになっていた。もしかしたら、この人格否定が原因で僕は自分で自分を認められず、自己嫌悪するようになったのかもしれない。
僕が幼稚園のころには、母は父を嫌いになっていたと思う。そのときはまったく理由がわからなかった。たまに夫婦喧嘩のようなものが始まって母が取り乱したりして、すごく怖かったのをよく覚えている。
喧嘩になると、母がヒステリーになり、父が乱暴になる。そんな印象があったから、僕は自動的に、父は怖い人、母はかわいそうな人と思うようになった。だから、僕は母の味方になって、一緒に父を嫌うようになった。
なるべく父と距離をとり、なるべく会話をしない。同じ屋根の下で暮らしているのに、家族とはとても思えないような状態で10年以上暮らしてきた。その間、ずっと母は父の存在をうっとうしく感じていたし、イライラしている母を僕はずっと見てきた。
そんな環境で育った僕は、自然とこう思うようになっていた。
「父のような人間になると、これだけ母に嫌われてしまうんだ。」
「父のような人間は、一緒にいるとうっとうしくて、人をイライラさせるんだ。」
「僕は、絶対に父のような人間になってはいけない。」
僕は、父を反面教師にして、誰からも好かれるようないい人間になろうと思うようになった。実際に中学生くらいまでは、「俺は父親と違って、人に優しくできるし、空気の読める人間だ」と自信を持っていた。
でも、高校生~大学生になるにつれて、僕の性格はどんどん父親に近づいていった。そのことに気付いてめちゃくちゃ焦ったし、これではダメだ、これでは人に嫌われてしまう、と危機感を感じていた。
そして高校3年生のときに、とある出来事をキッカケに僕は激しく自己嫌悪するようになった。その出来事については昨日、書いた。(僕が「生きづらさ」を感じるキッカケになったあの日の出来事 - 生きづらいふ)
母が父を人格否定し続けてきたことによって、「父の性格」は僕のなかではありえないものになった。こんな性格の人は、母に嫌われてしまうし、きっと誰からも好かれない。だから僕はこんなに性格になってはいけない。そういう強迫観念が僕のなかにできあがってしまったのだと思う。
僕が自己嫌悪を繰り返してしまって、なかなか自分を好きになれないのには、こういう背景があるのかもしれない。そして、もしかしたらそれは僕だけじゃなくて、自己嫌悪をしてしまうほかの人にも当てはまることなのかもしれない。