自分から人を誘ったことがほとんどない。
「遊ぼう」「一緒に行こう」「食べよう」など日常のほんの小さなものから、大きなものまであらゆるものを含めて、ほとんど自分から誘った記憶がない。
ちっちゃい頃も、友だちに誘われない限り誰かと遊ぶことなんかなかった。「今日うちでゲームしようぜ」と誘われれば、いっしょに遊んだ。幸い誘ってくれる友だちはいたので、まあまあよく遊んだ記憶はある。
中学生になろうと、高校生になろうとそれはいっしょで、基本誰かに誘われないとなにもしなかった。誘われれば行く、誘われなければ家にいる。寂しいとか、遊びたいとか、誰かに会いたい、と思うこともほとんどなかったのでそれで困ることはなかった。
さすがに、高校生になって彼女ができたときは自分からデートに誘ったり、あそこに行こう、あれを食べようと言っていたけど、ふだんの友だち付き合いのなかで自分からなにかに誘うということはほぼしたことがないと思う。
それはいまもそう。自分から飲み会を企画したり、誰かに「今日飲み行こう」と言ったこともない。もしかしたらあるかもしれないけど、ほとんどないはず。
なにかポリシーがあってわざと誘わないようにしているとかそんなことではなく、単純に誘えないのだ。誘いたくても誘えない。いや、誘おうという発想がないのかもしれない。基本的に一人でいいや、と思っているので誰かとなにかをしたいという気持ちが人よりは少ないとは思う。
いや、これでもだいぶ「寂しい」という感情を持つようになってきてはいる。変に気を遣わずに接することができる人とはもっと話したいと思ったりもするので、内心「今度飲み行きたいなあ」と思ったりすることもある。
なぜか今まさに「寂しい」という感情になっていて、なんでもいいから誰かとコミュニケーションを取りたいと思っていて、ブログを書いて不特定多数に向けて自分の言葉を発することですこし紛らわせようとしている。
それはいいとして。
人を誘うという行為はぼくはすごく怖いものだと思っていて。だって自分がやりたいと思ったことを、その人もやりたいと思うかどうかなんてわからないのに誘うってめちゃくちゃリスクある賭けだという感じがしてしまう。
極端に言えば、「誘う」というのはつまり「自分のわがままに相手を付き合わせてしまう」行為だと思っているので、とてもできない。迷惑なんじゃないか、つまらないと思わせてしまうんじゃないか、という不安が拭えない限りは誘うなんて大博打は打てない。
誘うことは相手にとって迷惑なんじゃないかという感覚、というか思い込みがあるので、なかなか誘うことができない。自分が誘われることはそんなに迷惑と思っていないのに、自分からとなるとどうもできない。
でもごくごくたまに、そんなこと気にせずに誘える相手ができたりもする。「この人はきっと自分を嫌わない」「たぶん好いていてくれているだろう」という安心感を持つことできた人なら誘えたりする。
しかしほとんどの場合、その安心感を持つことができないので、自分から誘うということができない。一人でいることを苦にしないとはいえ、それでもやはり孤独は嫌だ。そこで取った手段が、なるべく「誘われる人間」になることだった。
自分から誘えないのなら、誘われやすい人間になればいい。そうすれば孤独は避けられる。
だから、お人好しで、NOと言わず、誰にも嫌な顔をしないような人間になった。戦略的に、打算的にそうしてきたというよりは、気づいたら無意識にそうしていたという感じ。思い返せば小学生のころからそうしていたのかもしれない。
なんだか悲しくなってきた。
寂しい人生だ。