現代人は限りなく自由を手に入れた一方で、それによる苦悩も相応に感じているのではないか。
自分の親世代やそれより昔だったら、結婚して子どもを産むことは当たり前のことで、そこに「産まない」という選択肢はほとんどなかったのかもしれない。それ以前に結婚相手は自分で選ぶのではなく、親の都合などで半自動的に決まることが当たり前だった時代もあったのだろう。
ほかにも、高校に行くかどうか、行くならどの高校に行くか。大学選びや会社選びもしかり。ひと昔はもう少し選択肢が狭い、もしくは自分で選ぶ余地がなかった場面もあったのだろうと思う。
が、しかしいまはなんでも自分で選べる時代だ。すこし前まで当たり前とされていたことも、「私はそうしない」という選択肢を選べるようになっているように思う。結婚しない、出産しない、会社勤めをしない、などなど。
それはとても自由で素晴らしいことである一方で、選択肢が無限大だからこそ、よく考え、いろんなメリット・デメリットを比較しながら、自分で決めなくてはいけない。何が正解かわからないなかで、いろんな情報が溢れるなかで、自分の意思を固めなくてはいけないのだ。
30代に突入して、まさにそういった苦悩に直面してきている。
子どもをつくるか、つくらないか?
つくるならいつか?
その前にマイホームを買ったほうがいいのか?そのあとがいいのか?
そもそも賃貸のほうがいいのか?買うなら都内か?郊外か?
そのためにはどれくらいお金が必要なのか?
年収をあげるために転職したほうがいいのか?
その前にどんなキャリアプランでいくべきか?
本業以外になにか稼ぎ口をつくったほうがいいのか?
などなど、大きなライフイベントが相互作用的に複数絡まり合っているのだ。
結局、すべてはお金がないとなにもできない、ということに尽きるのだけど、無論お金などないよりあったほうがいい。そんなのは当たり前だが、望めば望むほどキリがない話だ。
できるかできないかはさておき、年収500万あればいいのか、1000万あればいいのか、5000万あればいいのか、1億あればいいのか。そりゃ大いにこしたことはない。だからといって、じゃあ年収1億を目指そうといったって、現実的にどうなのだろうというのもある。
となったときに、じゃあ現実的な範囲で最大限の努力をする前提で人生設計しようと。
そう言うのは簡単だが、これがまた難しいのである。
「したい」「したくない」という自分の意思だけでなく、損得でものごとを考えてしまうと答えを出すのは至難の業である。いまの年収で子どもを育てても、不自由なく生活できるのだろうか。家を買っても、切り詰めたりせずに暮らせるのか。
書いていて改めて思うが、やっぱりすべてはお金なのだなと思う。資本主義社会に生きていることを痛感する。お金があれば、ラーメンを大盛りにできるし、新幹線で広い席に座れるし、ディズニーランドで並ばずに乗れる(今はファストパスないんだっけ?)のだ。欲を出せばキリはない。
結局お金の話が中心になってしまったが、もともと言いたかったことは、でかいライフイベントが自分ゴトとして目の前に現れてくる30代の悩みは難易度が高すぎないか??ということである。
それぞれの価値観があってそれぞれが悩みながら生きているのだろうと思うが、それにしてもみんながどうやって生きているか気になるところだ。