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内向的な人による、内向的な人のための、内省ブログ

ぼくの意思はどこにある

自分の意思がない。それは昔からずっとそうで、つねに受け身的に生きてきた。

 

自分はこうしたい、これがいい、あれはいやだ、それはやりたくない、というのがあまりない。あったとしてもそれを表に出すことが少ない。自分のなかに閉じ込めて飲み込む。そして相手の希望に合わせる。そのほうが楽だから。

 

いままではその生き方であまり不都合がなかった。人に害を与えないのでいい人として扱われるし、相手に合わせることで人間関係で衝突することがなく平和に過ごせた。けどどうもこの生き方だと損したり、不都合が生じるようになってきた。

 

それはおもに仕事において感じているのだけど、自分の意思がない、もしくは示さないことでどんな要求も断れずに応えようとしてしまう。きちんと応えられるのであればお互いにハッピーになれるのだけど、応えられるか分からずにすごくプレッシャーを感じてしまうからしんどい。

 

そして雑多に要求を受け続けているうちに、自分を見失ってしまった。そこで、改めて自分の道筋を再確認しようとしても、自分の意思がはっきりしていないので路頭に迷ってしまう。あれ、ぼくはなにがしたいんだっけ?どこにいきたいんだっけ?、と。

 

去年の秋ごろからそんな状態だったので、今年は「自分の意思」をテーマにしようと。まずはいろんな場面で自分はどうしたいのか、どう思うのかを自覚する、認識する。それができたら次はそれを表明してみる。イヤなことはイヤと言い、やりたいことはやりたいと言う。そういう風にしたいな、と。

 

けどなかなかできなくて苦しい。そのための具体的な方法とかアクションを試したわけじゃないので当たり前といえば当たり前なんだけど。相変わらず人に言われたことをそのまま盲目的にやってしまうし、いざ自分の意思を求められると言葉に詰まってしまう。

 

ぼくの意思はどこにあるんだろうか。本当に意思がないんだろうか。

 

ほんとうはあるのに、それを自覚するのを憚って「ない」ことにしているんじゃないかという気もする。そんなことを思ったり、希望するのはよくないことなんじゃないか、と無意識に判断して自分の意思を自分で無視しているような。

 

だとしたらせめて自分自身にだけは正直にいたい。それを人に言わないまでも、自分の心のなかでは自分の正直な意思を認識していたい。...と書いていて気づいたけど、そうして自分の意思を認識すると、自分の期待、希望が叶わなかったときにとても辛いから、はじめからなにも期待しないようにしているのかもしれない。そういう生き方を小さいころに学習したのかも。

 

だからといって、じゃあ毒親がどうのとか言ってもしょうがないので、なんとかするしかない。だいぶ根深い問題なのですぐには解決できないけど、じっくり楽に生きられるようにしていきたい。とはいえどうしたらいいんだろう..?