最近、自分のなかで「生きづらさとの付き合い方」についての考え方がだいぶ変わってきている。その理由とかきっかけとかはよくわからないんだけど、あるとき気づいたら考え方が変わっていた。その変化が最近のブログやツイッターでの発言に繋がっているので、ここで記しておこうと思う。
単刀直入にいえば、「生きづらさをネタにしていきたい」という考え方に変わった。以前までは、2年間にわたってこのブログに書いてきたように、「僕はこんなことで生きづらい」、「苦しい、つらい、もがいている」と生きづらさを感じている自分を悲観するような表現をしていた。
けどそういう行為が「ダサい」と思うようになった。苦しんでたころの自分を否定するわけではなく、苦しかったときはたしかに苦しかった。けどいまはもうそんなことはない。つらい時期はとっくに抜け出していて、もう生きづらさを語る必要もあまりなくなったのだ。
だからもう生きづらさを抱えて悩むことに飽きてきたし、もういい加減卒業しようや、という考えに変わった。いつまで悲劇のヒーローを気取っているんだと。もう次のステップに進もうやと。「生きづらいふ」はもうオワコン(終わったコンテンツ)だよと。
で、いまは「生きづらさをネタにしていきたい」と思っている。悩むのに飽きたとはいえ、まあ人間としていろいろ問題はあるわけで、働くのがこわいとか、なかなか行動に移せないとか、課題はたくさんある。そういう自分のコンプレックス的な部分を表現するときにすこしでも明るく表現したいと思ったのだ。
だから最近はブログでもツイッターでも「笑い」を取るようなことを発言している。まあ実際に笑いが取れているのかはだはだ疑問ではあるが。仮にすべっていてもいい。とりあえず自分を悲観するような表現から卒業したいのだ。また新しい生きづらさとの付き合い方にステップアップしたいのだ。
冒頭ではこの変化の理由やきっかけが分からないと書いたが、書いているうちにきっかけを思い出した。最近、Youtubeで活動しているあるゲーム実況者さんの動画をよく見ている。野球ゲームのパワプロなどを中心に実況している方なのだけど、その実況主さんがとても好きになったのだ。
ゲームのプレイ内容よりもその実況主さんの話がおもしろい。なんていうか人柄がすごく好きなのだ。で、日常のちょっとしたできごとをクスっと笑えるようなエピソードにして話す感じがすごく好きで、「ああ、こういう人になりたいな」と。
この人だけでなく、ほかにもツイッターやブログなどで何人か同じように人柄が好きだなと思う人が何人かいて、だいたいみんなユーモアがあるというか、なんだか分からないけど「おもしろい人だなあ」と思わせる人たちなのだ。そして、そういう人たちにもろに影響を受けて、突然「生きづらさをネタに」という考えに行きついたのだ、と思う。
だから最近はいままで書いたことないタイプのブログを書いたりして、いままでの読者さんを戸惑わせてしまったかもしれない。けどまあそういうことなので、温かく見守ってください。よろしくお願いします。