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すべての人が肩身の狭い思いをしなくて済む社会がいい

昨日、世界仰天ニュースで文字の読み書きにだけ困難を抱えるディスクレシアという学習障害の一種についての特集をやっていた。

 

番組では、実際にディスクレシアを抱える井上さんという人物を取り上げていた。井上さんの苦労の連続だった人生が再現VTRで紹介されていた。

 

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井上さんは小学生のころから、文字を読んだり書いたりすることができず、学校の授業やテストのたびにイヤな思いをしていたという。先生からは「できないのは、あなたが怠けているせいだ。」としつこく叱られ、まさか自分が障害を持っているなどとは夢にも思わなかったらしい。

 

中学では教師に反抗することによって、読み書きができないことをごまかし、高校では不良ばかりの学校に進学してしまったため、授業を受けれるような環境ではなかった。学校には自分の居場所はないと悟り、家出をしアルバイトを始める。

 

アルバイトでも文字との戦いは続き、苦戦を強いられる。井上さんは必死で「読めない・書けない」ことを隠し続けた。ことあるごとにうまくごまかしてやりすごしていた。紆余曲折経て、大工の仕事に自分の居場所を見つけると、そのまま独立。しかし依然、文字へのコンプレックスは隠し続けた。

 

そうして、40歳が過ぎたある日、偶然ある本と出会ったことがきっかけで自分が「ディスクレシア」という学習障害であったことを知る。今までさんざん苦労してきたのは、自分が怠けていたからじゃないんだ、これのせいだったんだ。そのことを知った瞬間、自然と涙が溢れてきたという。

 

僕は障害を持っているわけではないが、なんとなく井上さんの心中が分かるような気がしてしまう。すごくおこがましいことだと思うけど。見ていてすごく胸が苦しかった。どきどきした。「お前がダメなのは、怠けているからだ」という先生の言葉が痛かった。

 

そして、なによりたまたま出会った本がきっかけで自分が障害であったと気づいた瞬間の感情。「ああ、自分はこれだったんだ」と分かった瞬間の開放感。すごく分かる気がしてしまった。やっと答えを見つけ出したような感覚。

 

僕も初めて「アダルトチルドレン」という言葉を知ったとき、同じような感覚を味わった。今まで苦しんできたものの正体はこれだったんだ、と分かった瞬間は、なんとも言えない感情になった。うれしいような悲しいような・・・。「ああ、これだ・・・」と悟ったかのような感情。

 

僕は障害を持っているわけではないのに、井上さんの気持ちを分かったように語るのはとても失礼な話だろう。だが、井上さんのストーリーを見ていて、まったくの他人事に思えなかったことも事実だ。「できないのは、怠けているから」という言葉におびえ、コンプレックスを抱える人生。まわりから「怠けている」という目で見られる苦しさ。とても生きづらい人生だったのではないだろうか。

 

障害者は、みんなにはできることができない、というハンデを抱えている。ハンデを抱えながら生きることはとても苦しいのだろう。しかし、そのハンデに対して周囲からの理解が得られなければ、その苦しさはさらに倍増する。社会で肩身の狭い思いをしながら生きることになるからだ。

 

僕がいつも語る生きづらさとは、おもにこの「社会での肩身の狭い思い」であると思う。すべての人が社会で肩身の狭い思いをしなくて済むようになってほしい。そんなことをテレビを見ながら思っていた。

 

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