人よりも優れていたい、優位に立っていたい。そういうプライドがむだに高い。天邪鬼でひねくれているので、昔からみんながよい、というものをよいとは思わずに、人とはちがうものをよいと言ってきたりしている。
場合によっては、みんなと足並みそろえておいたほうが得な場面もあるだろうに、それでも僕は自分のプライドを優先することが多い。そういう点でほんとに不器用だなあ、と思う。プライドに固執しすぎて、結局自分が損をするのだ。
しかもせこいことに、大多数のなかにはいってそこで誰よりも優れた存在になろうとするのではなく、少数派のなかにはいってそこで大多数の人と自分を区別して、自分は他人とはちがうのだ、と思い込もうとする。
僕が就職しないという選択をしたのも、プライドを守りたかっただけなのかもしれない。就職するという多数派に入りたくなかったのかもしれない。あえて社会のレールから外れることで、他とはちがう自分を守りたかったのかもしれない。
生きづらさを主張しているのも、自分を「生きづらさを感じている人」にカテゴリー化することで、そうでない多くの人と自分はちがうのだ、と思いたいだけなのかもしれない。僕とおなじような悩みを抱えている人はそれなりにたくさんいるだろうし、僕の悩みが特段、珍しいものなわけでもない。
自分は特別だ、自分は他人とはちがう。それを自他に認めさせることに必死だ。とことん自分に自信がないからだろう。健全な自尊心が育まれていないから、自己愛が強く出てしまうのだろう。自分に健康的な自信があれば、わざわざ他人とちがうことを強調しなくてもいいはずだ。
この性格はすごく自分が損するし、めんどくさいし、周囲の人にも迷惑をかけてしまう。けど、すぐに治るようなものでもない。この性格とうまく付き合っていくしかないのだ。なるべく自分が損をせずに、周りの人にも迷惑をかけないような生き方を日々、探りながら生きていくしかない。