ひさしぶりに落ちこんでいた。あまりよくない状態だった。答えを見つけようと、ネットで検索しはじめたときは、だいぶ迷走しはじめているサインだ。やらなきゃと思っているのに全然動けない、いつまでもだらだらするだけで行動に移せない。自己嫌悪が重しになっているようで身体が重かった。
自分の悪いところは分かっている。けどそれを素直に受け入れて、反省し、改善できない。ただふてくされたように落ち込み、自己嫌悪し、堕落するだけ。そして自己嫌悪に取りつかれている状態はとても苦しい。いったん悩むことを忘れて、好きなことをして食べて寝れば楽になる。
けどそれでは自分の悪いところをいつまでも見て見ぬふりし続けるだけだ。ずっとクズのまま。ずっとダメなまま。成長できない。自分の悪いところを直視すると、拗ねて、行動が止まる。人生が停滞する。それを避けようとすれば悪いところを直視しなくなる。成長しない。どうすりゃいい。
そんなことですこし悩んでいた。あまり感じたくはなかったけど、なつかしい感じがした。
ただひたすら気持ちも身体もだるくて無気力で、横になっていた。横になりながらぐるぐる考えていたのだけど、そういえば最近自分で自分の味方になることを忘れていたな、と思った。自分で自分を褒めたり、許したりすることをさぼっていた。
苦しかったとき、ほんの小さなことでもいいから、なにかを自分がやったときに「よくできたね!」と褒めていた。だいぶ気持ち悪いくらい褒めちぎっていた。でもそれをやってからすこしずつ自尊心みたいなものが芽生えて状態が良くなっていった記憶がある。
それを思いだして、またそれをやろうと思った。自分が確実にできることをやって、それを「できてあたりまえ」とスルーせずにちゃんと褒める。こんなこと書くのは恥ずかしいけど、横になりながらまず(親指を動かそう)と思って、実際に親指をぴくぴく動かした。で、「よし、できた!」と心のなかで褒めた。そのあと別の指を動かしたり、腕を上げてみたりして、それぞれ「ちゃんとできた!」と褒めた。
そんなのを4、5回繰り返していたら、すこし元気が出てきた。「できる!できた!」と思うだけでじわじわ元気が出てきた。そこからすぐに身体を起こすことができて、やろうと思っていたことがスムーズにできた。紙にいま自然と浮かんでくる思考をひたすら書きなぐったり、ネットで本を買ったり。それから、1年くらいツイッターで誰もフォローしていなくて、そろそろ誰かをフォローしたいと思ってから1、2ヶ月が経っていたんだけど、それがやっとできたり。
これを書いているいま「すっかり元気です!」とは言えないけど、だいぶマシにはなった。あまり落ち込みたくないけど、たまには必要な気がする。直視していなかった自分のダメなところを思い出すことは必要だ。おかげで自分の味方になるということを思い出せたし、やっぱりまだまだ自分はダメなんだと再確認できた。
みっともないくらい、どうしようもないくらい、自分は足りていない。それはしょうがない。できることからやる。できたら褒める。成功体験を積む。自信ができたらちょっとできないことに挑戦してみる。子どもを育てるかのように自分と付き合っていく。