好きなことをして生きることができたなら、こんなに幸せなことはないだろう。
だが、現実として好きなことに熱中して生きている人はごく一部の人間に限られている。
日本社会には、いい大人になってまでも、自分の好きなことに時間を注ぐのはあまり好ましいことではないという風潮があるように思う。
それに、好きなことで食べていけるだけのお金を稼ぐこともそう簡単ではない。
だがそれ以前に、人生を通して熱中できる「好きなこと」を持っている人がそんなに多くないのではないだろうか?
学校や仕事の余暇として楽しむ趣味なら多くの人が持っている。音楽だったり、映画鑑賞だったりといった娯楽がその中心だろう。
それらの娯楽は、多くの人にとって普段の本業の疲れを癒すものとして機能している。
人生を通して熱中するというほどの情熱はそこにはない。
しかし、世の中には「オタク」という人たちが存在している。彼らは、自分の興味を持ったものについて、膨大な知識を持ち合わせ、誰よりもそれに熱中することができる。
「オタク」はその独特な個性が故に、“ちょっと変わった趣味を持った人たち”と捉えられ、あまり良い印象を持たれないことが多い。
だが、「オタク」こそが自分の「好きなこと」に人生をかけ、思う存分に堪能している。これはオタク以外の人にはなかなかできないことである。
「好きなこと」で稼げているかというのはまた別問題になるが、少なくとも、あそこまで「好きなこと」に熱中できるオタクたちはある意味で才能がある。
多くの人たちは、人目もはばからず「好きなこと」に熱中することはしない。社会人として、ふさわしい行為とは言えないと思っているからだ。
誰もが「好きなこと」をして生きることができたら良いなあ、と思っているだろう。
だがそう思うだけで、実際には行動に移していない。そんなのは無理だろうとはなからあきらめている。社会人としてそんなことしている暇はない、と。
オタクたちは、好きなことをして生きるための第一条件を突破しているのだ。誰よりも情熱を持って「好きなこと」に熱中すること。それができている「オタク」たちは、好きなことをして生きる才能があるといえるのかもしれない。