やりたくない。だけど、やらなきゃいけない。
社会に生きていれば、そういうことって山ほどある。
できれば、逃げ出したい。やりたくないなあ、と思うことがいっぱいある。
みんなはやりたくないことでも、逃げ出さずにがんばっている。そんな人たちと、がんばれていない自分を比較して落ち込む。自分を追い込んでしまう。
それってかなりしんどい。社会から、「ダメなやつ」という烙印を押されている気がする。そう思えば思うほど、自尊心が擦り減っていく。
だけど、今読んでいる本に少し勇気付けられる文章があった。
『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』という本だ。
勇気付けられた箇所を以下に引用する。
「嫌か嫌じゃないか」、そんなもんで決まる。それが認識できたときに、はじめて実行力というものが発揮される。つまり、「あ、これは嫌だな」と思ったとき、常識やらしがらみの妨害を受けずに、「じゃあ、こうしよう」と行動に反映させられるかどうか。人間が動くのはこういうときがほとんどではないかと思う。
前後の文脈がないから、少し分かりにくいと思う。
やりたくないことって誰しもある。だけど、やりたくないことから逃げちゃダメだっていう風潮みたいなのがある。
やりたくないことでもがんばってやるのがきちんとした社会人だという価値観みたいなのが少なからずある。
だから、多くの人はやりたくなくてもがんばる。
だけど、本当は「やりたくない」って思うことはそんなに悪いことじゃない。だって、やりたくないんだもの。
まず、「やりたくない、イヤだ」という意思を自分で認識すること。そして、そう思うことは決して悪いことではないはず。
しかし、ここで「あー、やりたくないやりたくない」と現実逃避していてもしょうがない。重要なのは、「やりたくない」と思ったあとに「じゃあ、こうしよう」と、別の選択肢を考え出すこと。
仕事したくない。そう思う人はきっとたくさんいる。できれば、やりたくない。
「仕事したくない」そう思ったとして、「じゃあ、どうする?」と考える。生きるために仕事をしているわけだから、仕事をしなくなったら生きれなくなる。
じゃあ、生きるために別の選択肢を考えればいいわけだ。最近は、いろんな働き方が登場してきていて、新しい選択肢もだんだん増えてきている。
たしかに現実的ではないし、無謀なのかもしれないけど、確実に働き方は多様になってきている。今の仕事がやりたくないなら、無理してがんばらなくてもいい。「やりたくないな」「じゃあ、こうしよう」って別の選択肢を考え出せばいい。
だけどやっぱり、やりたくないことから逃げることって、勇気がいる。みんなから白い目で見られる気がしてコワイ。
引用した文章にかなり勇気付けられはしたけど、正直やっぱり自信が持てなかったりする。逃げることはダメなことなんじゃないか、と。
やりたくないことでもやらなきゃいけないんだよ、という社会からのプレッシャーに押しつぶされそうになる。社会から通せんぼされてしまって、逃げ道がない。
やりたくない。だけど、やらなきゃいけない。だけど、やっぱりやりたくない。
こんな子どもじみた葛藤に苦悩する一方で、がんばることが正義という風潮にうんざりする。