やりたくないけどやらなきゃいけないこととどう向き合うか。
昨日、そのことについての苦悩を書いた。結局答えは出ず、なんだかもやもやしたまま終わってしまった。
昨日のブログを投稿した直後、なんだか胃が痛くなりそうなほど心にダメージを受けた。「ああ、なんだこのブログ。やりたくないってダダをこねてるだけじゃないか・・・」と思うと、自分の幼稚さに嫌気が指した。
今日一日、頭の中では「やっぱり逃げちゃいけないのか、逃げてもいいのか」と考えを巡らせていた。心の奥底では、「逃げたい」と思っている自分。「いや、人としてダメだろ」と自分を律しようとする自分。天使と悪魔が僕の心を揺らしていた。
大学の帰り道、本屋に寄った。そこでとある本をなんとなく手に取った。そして、たまたま開いたページにまさに今の僕に向けたかのようなことが書いてあった。
そこに書いてあったことをざっくり言うと、
イヤだ、イヤだ、と文句言っているだけなら、ただのワガママ。イヤなら、なんか自分で考えて行動しないと。
実際の文章とは違うけど、こんな感じのことが書いてあった。
(その本を購入したわけではないし、ほんの一文しか読んでいないので、どの本かは紹介しないことにする。)
読んだ瞬間は、痛いところを突かれ、「ドキっ」とした。だけど、しばらくするとストンと腑に落ちたような感覚になった。
そうか。文句言う前に、自分で動き出せばいいんだ。イヤだ、やりたくないってダダこねてるなら、自分で打開策を考えてそっちに行動を移しちゃえばいいんだ。
そう思った瞬間、なんだかやる気がみなぎってきた。心のもやもやはかなり晴れた。まだ完全に自信が持てたわけじゃないけど、とりあえず視界は開けた感じがする。それに自分に喝が入った感じもする。
あの本に書いてあったことは、昨日紹介した本に書いてあったことと似ていると思う。
「嫌か嫌じゃないか」、そんなもんで決まる。それが認識できたときに、はじめて実行力というものが発揮される。つまり、「あ、これは嫌だな」と思ったとき、常識やしがらみの妨害を受けずに、「じゃあ、こうしよう」と行動に反映させられるかどうか。人間が動くのはこういうときがほとんどではないかと思う。
『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』伊藤 洋志 著 より
「イヤだ」と思ったなら、そのあと「じゃあ、こうしよう」という別の行動に移せるかどうか。文句だけ言うんじゃなくて、そのあと自分なりの打開策を考えて、行動する。
これができれば、「やりたくない」という意思を持つことはそんなにダメなことじゃないんじゃないか。ただダダをこねるだけの子どもではないと言えるのではないか。
「あれもイヤ、これもイヤ」って言ってるだけなら、ただのワガママだ。「これはイヤだから、僕はこうする」って自分なりの解決策を考えて実行できれば、やりたくないことから逃げるのはそんなに悪いことじゃないはずだ。