生きていればいろんな問題にぶち当たる。誰だってなにか問題に直面したことがあるはずだ。
ひとはみんなそれぞれの方法で問題を解決していく。ひとによって解決するまでの時間は違うし、対処法もまったく異なる。それぞれの考え方で解決していく。
だけど、僕は問題解決をするのがものすごくヘタだ。僕のもっとも苦手な分野といってもいいかもしれない。
僕がなにか問題に直面したとき、僕の対処法はだいたい「さじを投げる」だ。
僕は昔から算数・数学が大の苦手だ。どうしても頭を使って、解決法を導くという作業ができなかった。考えれば考えるほど頭がヒートアップしてしまいそうになる。そして、限界がくると、「あー、わかんね。やめた。」とさじを投げてしまう。
数学の問題を解いていて、途中まではなんとなく解ける。でも、その先で分からなくなると、「あ、だめだ、わかんないや」と放り出してしまう。その先、考えることを放棄してしまう。
数学だけでなく、オセロや将棋といった頭脳的なゲームも苦手だ。オセロなど、頭のなかで戦略を組み立てたり、相手の手を読んで先回りしたり、とかいったことがまったくできない。考えようとすると、頭がパンクする。だから、いつも目先のことしか考えない戦い方をする。
オセロや数学だけでなく、人生においても問題を解決することが苦手だ。なにか壁にぶち当たるとすぐにさじを投げてしまったりする。「この状況をどうにかしなければ」という気持ちよりも「めんどくさい」という気持ちの方が勝ってしまう。
僕のこの生き方はとても賢い生き方とは言えないだろう。人は何かしらの方法で問題を解決していくのに対して、僕は解決することを放棄しているのだから。
どうして僕は「考えて、解決策を導き出すこと」が苦手なんだろう?
まず考えられるのは、もともと僕の頭がそういう風になっているということ。人よりも頭の許容量が狭く、ニワトリみたいな頭なのかもしれない。もしそうだとすれば、もうあきらめるしかない。
もうひとつ考えられるのは、僕が学習性無力感に陥っているということ。学習性無力感とは、心理学の世界の言葉なのだが、簡単にいえば「長い間、ストレス状態にいると、人はその状況から抜け出そうとする気力を失ってしまう」ということ。
もしこの学習性無力感に陥っているとすれば、まだ道は閉ざされていない。が、なかなか複雑な状況にいることは確かだ。「この状況から抜け出そうとする気力を失ってしまっている」という状況から抜け出そうとしているわけだから。なんだか矛盾しているような、変な感じだ。
人生の困難を乗り越えていくための問題解決力を身に付けたい。状況を打破し、前に進もうとするだけの気力が欲しい。賢く考えられるだけの頭脳が欲しい。