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内向的な人による、内向的な人のための、内省ブログ

「決めるのは自分だ」という強い意識が人を自由にする

人から強制されたり、強要されたり、無理強いされたとき、誰だって不自由に感じるはず。そのことを分かっているからこそ、自分は相手の意思を尊重してあげようなんて思ったりする。でも、それじゃあ自分自身の主張を相手にぶつけられない。

 

相手が「私はこうしたい」と言っている。もし自分がそれに反対だった場合、「やめときなよ」と思うだろう。そう思ったとき、思ったままに「やめときなよ」と、自分の主張を伝えるのか、それとも相手の意思を尊重して「あなたがそうしたいなら、いいと思うよ」と言うのか。どっちがいいんだろうか。

 

少し前までは、僕は相手の意思を尊重すべきだと思っていた。決して、相手の意思を捻じ曲げようとせず、相手の意見に対しては基本「YES」と肯定してあげるべきなんだろうと思っていた。みんながそういう姿勢でいれば、みんなが自由になれる。自分の意思を誰にも邪魔されず、自由になれるだろうと考えていた。

 

が、最近はこう考えるようになった。

 

意思を尊重するのは相手ではなく、自分自身だと。相手からなにを言われようと、最終的に決めるのは自分自身だと。「最後に決めるのは自分だ」ということを強く意識してさえいれば、その人は自由なんだ、と。

 

「私はこうしたい」という自分の意思に対して、相手から「やめときなよ」という反対意見が飛んでくる。そのときに「この人は、私のしたいことをとめようとする。私は不自由だ」と感じるのはおかしい。

 

どんな反対意見が飛んできたとしても、その意見を踏まえて最終決断をするのは、自分自身だ。「最後には自分で決める」ってことを意識していれば、どんな反対意見が飛んできても、不自由になることはない。

 

みんなが「最後に決めるのは自分だ」と強く意識していれば、周りの人間も自分の意見を主張することができる。「相手の意思を尊重してあげたいから・・・」なんて言って自分の意見を主張しなくなることもない。

 

みんながみんな、自分の意思をストレートに主張する。そして、みんながみんな、周囲の意思を受け止める。そして、意思決定するのは必ず自分自身。自由に意思表明できて、自由に意思決定できる。これが最強の自由なんじゃないか、と思う。